〝教えたがり屋〟を無視する自分軸【紙ブログ48号より】

貨幣経済のウソと勤勉哲学の仕掛け

新時代の経営②
我々と同世代の人たちは、再雇用の仕事も終わり(2度目の定年?)、趣味の没頭に大半の時間を使い、健康と必要な小遣い銭稼ぎのため、負担の軽い仕事を見つけたり、あるいは年金・退職金で年中フリー旅行を謳歌している人もいます。
その人たちを横目に、こちらは40歳台のころと変わらず、今も定時出勤を繰り返す毎日なのですが、引退どころか、まだこれから先の計画を考えている自分を発見します。
老後になっても人生を謳歌している人たちは、これまでの道程で人生を左右する大きな波乱も経験したはずですが、そのことも含めて〝人生を楽しむ力〟を身に付けたのだと思います。
労働の対価としての賃金を貰うという生活は、労働争議を契機として30歳代に早々と降板してしまったので、組織(社会)人としての常識に馴染むこともなく、若き頃は日雇いやアルバイトで凌ぐ 放浪時代を暫く続けていました。
生来「常識」という言葉への拒否反応が強い分、どの業種に限らず独自の視点でテリトリーを発見
していたので、よくバイト先の経営者から役職話や就職話も貰ったのですが、結果的には孤立無縁、自営の道に導かれていたようです。
創業時、金融機関が嫌いで資金はゼロでも銀行とは一切付き合わず、両親や家族・友人への借金もしませんでした。仕事自体は好きでしたが、人脈もコネもないのに営業もしない(社交性がない)。このような行動基準の持ち主は〝社会不適応〟と命名されます。
多くの観念の中でも「個人は社会があってこその存在」という強力な幻想は、無意識に〝信念化〟されているため、なかなかその呪縛から逃れられません。
現代人の行動基準のほとんどは、喜びからではなく恐怖に基づいていて、特にお金に対する刷り込みは、ピラミッド社会維持の高度な観念操作です。
前号でも書きましたが、見えない支配装置としての「共同幻想」(国家、法律体系、制度としての学校・会社、習俗や風習、社会規範などの観念体系)の中でも、経営者にとって極めつけは、ウソの信用創造としての貨幣制度の呪縛です。
無意識であろうと、これを前提とした経営理論や成功哲学の根底には、もっともらしい教育的な〝脅し〟が施されてます。このことに気づくのに30年以上も費やしたことになります。
何にもよらない自分軸とは「自分の中にこそ社会がある」という気づき。つまり社会と個人の幻想の逆転です。その真実から見れば世の中で起きている壮大な茶番の意図が分かります。
世間に蔓延している社会不安や〝引きこもり〟などの〝社会病理〟の全ては作られたものであり、この共同幻想から目覚めることで一発で解決できるものです。
人生を謳歌している人のように、この茶番に一切関与せず〝わが世界〟を構築できた時、充実感と人生への愛を感じます。
この三次元の不況業種の中にあっても、ようやく気付いたこのワクワク感をもって、これを証明してみたいと思います。(F)

写真=日雇労働被保険者手帳(23歳ころ)



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