様々なメソッドは単なるツールです。
私にとって昨年は、新しいパラダイムを迎えるためのキーワードが『調和』であると少し気づいたことですか。これは自分とまわりを取り巻くすべてのものが一つの源から発せられているのであって、世の中は自分とは無関係に存在することはなく、そこから発せられ形づくられてている全てのものを感じとることかな。
私が先に『真我発見』という言葉で表現したかったことは、プログラムの名称ではなく、本当の自分との対話を通じて、全てとつながることができると信じられるようになってきた、ということです。ただ、いろいろ遍歴した上で、一番いきたかった場所に連れて行ってくれた私によりマッチした方法はありました。それを教えてくれた人もいました。ただ、方法はなんでもいいのです。教義やメソッドではなく、徹底的に自分、本当の自分(宇宙)と交流することだと思っています。これは徹底的にそうだと思います。
ただ、前からすごく違和感を感じることですが、色々な教義やメソッドに固執して、真我でない『信念』の世界を拡大して排他的になっていることです。世の中を相反的に捕らえて『精神的なもの』とそうでないもの、『正しい』ものとそうでないもの、あるいは自分たちのやり方とは違うもの、というふうにです。このやり方こそ…という強力な信念(思い込んでいるもの)こそカリスマなどを作り、真我から遠いものだ感じます。私には『悟り』についてもそれに対する背反的なものはないと思っています。むしろ背反的に言うのは『精神世界』に関係している人々のほうが多いと思います。
皆さんコメント書いてくれなくて、メールでご返信いただいたりするので掲載できないのですが、この真我(神?)とどこかで繋がっている人との交流は、プロフィール抜きですね。人々とは魂で交流できるはずです。人間である以上ちょっとしたことで共感できるものだと思います。まだまだ荒れてますが、それをできるようその波動を高めていきたいと思っています。それはいかに自分を信じきるかだと思っています。日々、揉め事で怒り、強欲に翻弄されているいる自分を認め、許せない自分すら許していく勇気かな。これをやっていくと隠れた信念が溶解していくのを感じます。