生活のためでなく自己実現の経済へ
新時代の経営
物心ついたころからなぜか世の中への違和感が強く、社会一般に対する不信感から強烈な反抗心を露わにしていたので、気難しく手に負えない少年時代だったようです。
その違和感の根源が「個人より社会規範が上位にある」とする根底の信念体系=社会規範そのものへの根強い懐疑であることに徐々に気づいてきました。
本来人間は「自由な魂」が本質なのに、生まれた瞬間から「こうあるべき」という様々な社会規範を繰り返し埋め込まれ、大人になるに従って、気づかぬままに「それが正しい」と信念化されていきます。
個の昇華しきれていないエネルギーの行き場は様々な体制批判運動や、内面的には自己改革や研鑽に励んだりもするのですが、この底流にある透明になった(言及されることのない)「信念」のため、ますます鬱屈した自己欺瞞を露呈することになります。
吉本隆明は『共同幻想論』で「自己幻想と共同幻想は逆立する」と喝破しましたが、透明化した規範=共同幻想の本質に言及しない以上、様々な問題は、原理的に永久に解決しません。
30代後半、期せずして「経営者」の道?に入ってしまったので、この社会システム自体を〝絶対善〟とする共同幻想体系は「社会関係を維持・発展」させるためのものでは全くなく、本質的に人を「維持・支配」するために作為的に作られた教育的装置であることに気づきました。
弊社のように①資金ゼロ②人脈ゼロ③顧客ゼロから出発し、営業無視、銀行無視を〝是〟とする経営姿勢は、三次元的な難易度の問題ではなく、「排除」のバイアスが働きます。
世の中の紛争は、この規範(共同幻想)の枠組み内での利害関係を調整する機能しかなく、その結果は「勝ち組」か「負け組」かのいずれかで、このレースに「参加しない」という選択肢はないのです。
社会システムからのアウトローを経験した人なら感覚的に分かると思いますが、「個」を上位にしない限り、そこに究極の〝善〟は存在しません。社会規範は下部構造によって因果的に成立しているわけではなく、意図的に作られているのが見えるはずです。
このことに気づかない限り、どんな経営理念を作ろうが、成功者の経営哲学を学ぼうが、とどのつまり「今だけ、金だけ、自分だけ」の欺瞞を隠す方便にすぎません。
この幻想の本質に気づき、個と社会を逆転させると営業・経営戦略などを必要としないシンプルな(自分や仕事への)愛と誠実さが胎動し始めます。
弊社は、本音重視だから顧客と喧嘩することがあっても、仕事に対する手抜きは原理的にありえません。何故なら最高水準を追求し、保つことが唯一の「自己実現欲求」になるからです。この気づきは三次元の欺瞞を超え、ありのままを生きる風の時代(五次元)への足掛かりです。