手書き記録を考察【紙ブログ44号より】

多様性の時代は“自分のやり方”だけが価値

習慣に意味付けは不要
“共通項”探しは学びの罠

2013年8月に発刊した弊社社報「紙ブログ」ですが、紙面内容については社内で議論していて、一年置きぐらいで紙面企画を変えるようにしています。
 定期購読の皆さまは、お気づきかもしれませんが、昨年(2020年)新春号から、1面トップ記事は弊社代表・藤井の主張で、記事内容は仕事に直接関係のない、世相や日々の暮らし方に対する見解や仕事の手法など、至って主観的・独断的な考え方を掲載させていただいています。
 と言っても、肝心のテーマは私が決めるのではなく、経営コンサルタントを交えた弊社月例の早朝営業会議で、弊社スタッフが決めているのです。なので、書きやすいテーマもあれば、かなり整理が必要なものもあります。
 今回は『手書きメモ』がテーマ。いつも私が、早朝一時間を手帳の記録に費やしているのをスタッフが見て提案されたのですが、テーマとしてはかなり難しい部類です。というのも〝習慣〟に意味などはないからです。
 この習慣は30年以上になります。当初はビジネス一般の予定表付きメモ程度のものだったのですが、振り返りに非常に便利だったので、年々項目を増やし〝偏執的〟に詳しくなってきたということでしょうか?
 今では、この手帳一冊でほぼすべての過去の概要がわかるようになりました。カテゴリーはビジネス、家や家族の動向、友人関係、健康記録など、ほぼ日常活動のすべてにわたります。
 詳細は、公私問わず毎日の電話履歴や名刺交換した人物氏名肩書と会話内容の概略。また、読書や図書館記録と概要メモ。気づきや問題点なども、ペンの色を変えて記載しています。
手帳の事後利用例としては、ある事柄の数年単位の詳細な報告書や、関係した人物の足跡年表作りに威力を発揮したこともあります。
楽しいことでは、旅行時の行程履歴や出会いの内容、途中の記念スタンプも思い出の情景描写に一役買っています。
これが皆様の参考になれば幸いですが、論評は不要で、お勧めもしません。
多様性の時代に一番大事なのは「自分軸」です。良きにつけ悪しきにつけ、意味付けや他人との〝共通項〟探しは三角社会の罠で、〝指導〟と言う名の支配の道具に刷り変わります。多様性の時代は、〝教え〟ではなく『自分のやり方』発見だけに価値があるのです。(F)



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