あの吉本隆明が3月16日に亡くなった。
吉本隆明に触れたのは大学時代、でも団塊の世代ではありません。世の中の変革の可能性がほとんど廃れて行く中で、自分自身を持て余してたころに出会ったのが吉本隆明の世界でした。
● 私が感じたことを一言で言い切ってしまえば、様々な社会現象が動く時は観念の共有性を獲得した時であって、つまり、簡単に言えば「世の中は物理的にではなく幻想によって成立している」ということをはっきりさせたということではないかと思います。
これはすごいことで、文化や芸術、また社会運動、政治運動、宗教(運動)など、人の『観念』に去来する物事を理解するための、本質的なキーワードものを予感させるものでした。そのキーワードこそが「言語(ことば)」であって、その「ことばの本質とはなんぞや」を徹底的に追求したのが吉本であったと感じています。でもこれはすべて私の解釈です。
●その後、社会人となってからは、難解な吉本からは離れて行き…、人生の様々な局面でいわゆる『スピリチュアル』の世界へと変遷していきました。本屋の思想書のコーナーに立ち寄ったりするのですが、では相変わらず旺盛な執筆活動を続けていて、でもいずれゆっくりと…と思っていました。
●雑誌『試行』が吉本氏単独編集していた時、一度だけ吉本氏と電話で話したことがあります。次回の発行か支払の件かなんかで、時期は1991年か92年ごろだったと思うけど、『状況への発言』などの過激な文体が好きだった私にとって、それにに似合わず穏やかでゆっくりとした口調っだったのが印象に残っています。後、2008年に糸井重里の企画かなんかで『芸術言語論』の講演をテレビで見た時も同じような印象で、これが最後だったような気がします。
●とにかく自分の精神の変遷とともに吉本が時代だったことは事実で、ちょっと触れないわけには参りませんでした。一瞬閃いた言葉が『本質の片鱗を残して、あの時代は完全に終わった』。
2 comments to this article
岡田ひでき
on 2012年3月20日 at 02:08 -
一つの「時代」が終わったね。
「議会だより」よろしく。
私も議会の広報委員です。
KAN
on 2012年3月20日 at 23:50 -
本年度やることになりました。こちらこそ宜しく。またご挨拶にいきます。